profile
名前 | 石川 夕起子(ゆきりん) |
職業 | 兵庫大学現代ビジネス学部教授 |
出身地 | 兵庫県神戸市 |
座右の銘 | 清濁併呑 |
人生最後に 食べるもの |
スジコンのお好み焼き |
あかんたれの子ども時代
子どもの頃の夢は花屋さん。
家では話せるが人前では話せない子ども。小学校6年間でゆきりんの声を聞いた同級生たちはたったの3人と言われるぐらい。
人見知りで恥ずかしがりや、極度の緊張症と赤面症。
都合の悪いことがあればすぐに
「自分はなんて不幸なんだ。」
「私なんてどうせ」
が口癖のマイナス思考女子。
13歳から先の自分が想像できなくて、私は消えてしまうのかなぁと不安を抱えてた。
誰から見ても控えめで大人しい子どもだった。
自分より父
家では何かあれば「愛愛」が口癖の父が大好きだった。
当時の風潮でもあったがそれにたがわず「男が強くて女は一歩下がれ」という家庭。
母はいつも父と子供たちに気配り目配り。自分のことより父優先で父が何か言う前に先回りして動く母だった。
それを見ていた私も、自分のことではなく常に父の目線の先に何があるのかを気にしていた。お茶かな?灰皿かな?と。
自分が先回りしたことで父が満足そうにすることが私も嬉しかった。
そんな両親が大好きだったし逆らうことは一切なし。
叱られたくないという想いがとても強く
「両親の言うことを聞くのが良い子だ、叱られないようにしなければ」
こればかり考えていた。
それが愛だと思っていた。
私自身のことですら、「父の喜びが私の喜び」
という感じで自分ではなく父から見たらどうなのかということしか考えていなかった。
おとなしくおしとやかで控えめで家庭的、女は出すぎたことは許されないという考えの父の教え通りに日々過ごしていた。
転機
進路においてもまずは親が許してくれそうな仕事、それでいて人前で話すという私の夢にもなりえる小学校の教員採用試験を受けるが不合格。
挫折、絶望「やっぱり私なんて」という自己否定。
どうせ無理という言葉が渦巻くなかでふと、本当に学校の先生になりたいのか?と自分の心に問いかけてみた。
答えは「NO」だった。
そして「自分が本当にしたいのは何か?どう生きたいのか?」を考えた時
・子供の頃ラジオを聞くのが大好きだったこと。 ・お風呂で1人DJごっこをしていたこと。 ・笑福亭鶴瓶さんのラジオが好きで好きで
毎回楽しみにしていたこと。
そんなことを思い出した。
子供の頃1人でDJなりきっている時は心から楽しかった。でも一歩外に出たら引っ込み思案で人見知りで、誰とも目を見て話ができない私がDJなんてなれるわけがない。と思って諦めていた夢。
でも諦めたくない…
スタジオで話している自分を想像するだけでワクワクしてくる。
ラジオから自分の声が流れているのを想像すると胸が高鳴る。
「うん、諦めなくてもええやん」
「ラジオDJになろう」
と私は心に決めた。
それは初めて父の想いと違う自分の本当の心の声だった。
一通のハガキ
そして何を思ったか19歳の私は大好きだった鶴瓶さんに手紙を書いた。
「夢を見つけたと思って臨んだ教員採用試験に落ち、絶望のなかにいること」 「ラジオのDJになりたいこと」 「でも私には夢のまた夢だと思っていること」
今思えばすでに人気芸能人だった鶴瓶さんによくそんな手紙書いたなと思う。もちろん返事が届くとは思っていなかった…
そしたら数日後、ビックリ鶴瓶さんからまさかの直筆ハガキが届いた。
そこには
「夢は叶うよ」
という内容が書いてあった。
私は飛び上がるほど嬉しかった。
鶴瓶さんのおかげで早くもDJになったような気持ち。
方法はある
そしてお礼をこめてもう一度手紙を書いた。
でも最初はお礼だったはずがいつの間にか内容は当時の自信のない「私なんて」の文面に
「鶴瓶さんはもうすでにその世界にいらっしゃるから簡単に言ってくださるのだろうけど、私は何にもできないし神戸の片田舎に住んでる私にとってどうしていいかわかるはずもなく…」
と後ろ向き過ぎる内容だった。
私自身もこんなネガティブな19歳相手に人気芸能人の鶴瓶さんが真剣にアドバイスをしてくれるはずがないと思いながら書いていた気もする。
でも鶴瓶さんは違った。
なんと次に届いた封筒には、
「本当にやりたいの?」
「方法はあるはずだよ」
という文章と共に、大阪で1番大きなアナウンススクールの願書が入っていたのだ。
この一言が私に勇気をくれた。
親のために生きるのではなく自分のために生きるというスイッチに切り替わった瞬間だった。
夢は叶う
そんなこんなで私はDJスクール卒業後、念願のラジオDJを仕事にさせていただくことになる。
この鶴瓶さんとのやりとりがなければ私がDJになることもなかったし、喋りすぎて止まらなくなるぐらいの今の私はいなかっただろう。
その後はラジオDJ以外にもCMナレーションや披露宴司会のお仕事もさせていただき、披露宴司会をきっかけにブライダル業界に入ることになる。ブライダルで関わらせていただいたたカップルは4000組を超える。
ブライダル業界での実績が認められ大学の講師となりいつのまにやら教授に。
そして結果的に教員採用試験に落ちた私が学校の教壇に立っている。
「夢は叶うよ」
鶴瓶さんの言った通りだ。
愛ある師匠たち
ただそれは私に実力があったからではない。愛に溢れる方々との出会いが人生を変えてくれた。
ブライダル業界では桂由美先生。世界中の花嫁に幸せをプレゼントしたいという情熱と愛情に溢れた方で亡くなる直前まで一緒にお仕事をさせていただいた。
本を出版した時は鶴瓶さん以外にも日本のイメージング第一人者のねぇやんこと尾﨑里美さんと日本一の講演家と言われる中村文昭さんに帯(推薦文)を書いていただいた。
私の大大大好きな2人の師匠だ。
このお2人とも愛に溢れた方たちだ。
私は常々
「男なら中村文昭、女なら尾﨑里美、人なら笑福亭鶴瓶」
と公言している。
出会いで人生は変わる
私は出会いで人生が変わると思っている。
出会いからその人の生き方、考え方を見て自分が変わる。
小さいころから人前で話すのが苦手だった私が、大勢の人に話を聞いてもらうのが大好きになったこと。
人はほんの少しのきっかけで人生は変えられるし実際に目の前で人が変わるその瞬間を数多く見てきた。
ブライダル時代なら部下、今は教え子や卒業生たちがある瞬間から別人のように自分を自信を持ち変わっていく、自分の可能性を信じ物事の捉え方が変わる。
そうなると全てがうまくいく。
昨日まで何でもなかった日常が、捉え方や見方次第でワクワクに変わる。
全ての問題は外側ではなく自分の中にある。
一度しかない人生を毎日楽しむかどうかは心の持ち方だけ。
そして私の使命はピンポンダッシュ
それは
「やりたいことや夢があるのになかなか一歩目を踏み出すことができないあなたを応援すること」
「あなたが心の中に押し込めている夢、希望、才能を表に出すきっかけ作り。」
そのきっかけにより心が動き何かしらお役に立てたとしたら私にとっては最高の喜びであり幸せだ。
あなたの心が躍りワクワクするその世界を、その生き方を見つけてほしい。
本当はできないことなんてないし遅すぎることなんて1つもない。
やりたいと思ったその瞬間が最もふさわしい時。
誰にどう思われても何を言われても気にする必要はない。
あなたの人生はあなただけのものだから。
あなたがドアを開けたその世界に最幸の未来がありますように。
そして自分に自信を持ち、夢を叶え、使命を全うできる人が1人でも増えたらいいなぁと思う。
目の前の「出会い」に感謝し「出会い」を紡いでいきたい。